昨年の年末から続く肩の痛み。最初は通勤の時、電車のつり革に捕まると肩に痛みを感じる程度だった。寝違えたかな?当初はその位にしか思っていなかった。それでもなかなか治らない。気がつけば年も明けてそろそろ新年度だ。つまり4ヶ月以上、この肩の痛みが続いていた事になる。最近では肩を上げた時だけでなく、日常生活の中で腕を動かしただけで肩に痛みが走るようになっていた。私も50歳を過ぎているし(現在52歳)、これは五十肩かな?そう思い、近所の整形外科クリニックに通院する事に。そのクリニックの先生、スポーツ整形に詳しいとか。なんでも以前はJリーグのメディカルスタッフもやっていたと言うから何とも心強い。そんな整形外科クリニックで初診を受けると、診断結果は典型的な五十肩との事。「大丈夫、ちゃんと治療を続ければ治りますよ」最後に先生がそう説明してくれた。ネットで調べると、五十肩は治療のタイミングを逃すと治らないと書いてあったのを見ていた。だから先生からそう言われた時は本当にホッとしたのである。整形外科での治療は週イチの通院。通院した際には肩にヒアルロン酸を注射(これがかなり痛い)、そして理学療養士の方によるリハビリ。リハビリはかなり有難いものだった。私の体をいろいろ動かしながら、この体の特徴をズバリ見抜かれてしまう。「背中の筋肉が硬いので、肩に普段から無理な力が加わってます。毎日、こういうストレッチをしてみて下さい」と、理学療養士さんからのアドバイス。なんか口数は少ないけれど、真面目さが伝わって来る方で、私も素直に彼の指導を受け入れてしまう。そんな事で理学療養士の方から教わったリハビリをきちんと風呂上がりのタイミングで行っていた。そんな治療が続き、1週間、2週間と時間が経つ。正直に言うと2週目の治療を受けた時にはこれと言った効果は全く感じなかった。申し訳ないが、この頃はまた少しの不安が心の中で渦巻いていた。それが・・・。三週間目が経った頃のこと。「ん?あれ?なんだか肩が痛くない」そうなのである。肩の痛みが減って来た。明らかに1日単位で良くなっているのが分かる。けれどそこで治療を止める訳にはいかない。整形外科クリニックの先生に状態を話すと、あと一週間くらい様子を見ながら治療を続けましょうとの事。その言葉に従い、もう一週間、治療とリハビリを続ける。もう1日単位で痛みがどんどん消えていく物だから毎日が楽しくて嬉しくて仕方ない。「五十肩を放っておかないで、通院して良かったな」心からそう思った。そして4週目の治療を受けた時の事。「もう痛みはないですか?それではこれで治療を終えても大丈夫だと思いますよ」そんな先生のお言葉にもうその場で万歳をしたくなった(万歳をしても全く肩は痛くない)。最後の診察では、今後の事に備えて毎日やるべきストレッチのやり方などを教えてもらう。私ももう五十歳を過ぎている。いつまた再び五十肩になるとも限らない。もしそうなった時は近所の整形外科クリニックで治療を受けようと思う。次は早めに。今年、近所の商店のご主人が亡くなりました。大阪で葬儀社ランキングを直葬を行っているのは昔から同じ場所で営業している、町のお蕎麦屋さん。息子さんの代になった今も、大旦那さんはバイクで出前をしていました。去年まで、割と元気だったのに……。そう思いながら、私が家族を代表してお通夜へ参加しました。今回は基本的な部分を中心に大阪の遺産相続事情の直葬や家族葬は商店街の顔見知りが、たくさん集まっています。遺影のお顔は、まだ元気だった頃のもの。病気で世を去ったこと、さぞかし無念だろうと涙が出ました。お孫さんが、まだ中学生ですから……。お通夜が予定通りに終わり、別室で精進落としの招きを受けました。ほんの少しのつもりで、ウーロン茶と天ぷら、煮しめなどを頂きます。大阪で葬儀社ランキングを直葬や家族葬で行っているのは気付けば、周りはご近所だらけ。「どこの娘さん?」「角の家の……」「あ、あの小さい子?こんなに大きくなって!」と、あちこちで賑やかなやり取りが。生前の故人の話題で、皆さん盛り上がっています。そして会場の隅には、ご家族のアルバムや、おじさんが愛用していたヘルメット、上っ張りが……。珍しい、良い趣向だと思いました。大学生の時、高校の同級生の葬儀に参列しました。300人程を招集することができる葬儀場だったと思いましたが、年明けということもあり多くの同級生が自宅に帰っていたため、300人を超える参列者が集まりました。彼女のご両親は会社を営んでいた人だったため、会社関係者も多く集まっていましたが、お父様が「娘の葬儀だから娘の友達が先頭に座ってください」と言ったことにより、私たち同級生や彼女の大学の同級生が前に座ることになったのです。その時、ご両親の会社関係の人は理解を示してくれていたようでしたが、近所の人などはとにかく不満だったようで、「どうして私たちが先頭じゃないの?」と文句を言っていたことを覚えています。葬儀における座る位置で不満をいうなんて醜いと思ったものです。その会場からは直接エスカレーターで上の階や下の階に行くことができましたが、何といっても参列者が多すぎたため、最終的にはそのエスカレーターを止めなければならず、そんなエスカレーターにも人が溢れてしまう、という状態でした。いろいろありましたが、そこまで多くの人に送ってもらえた友人は幸せだっただろうと思っています。
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