二つの喪主としてのスピーチの思い出

自分が喪主をおさめたお葬式は一つしかないのですが、大阪にお住まいで安心納得料金の葬儀は城東で喪主のスピーチ自体は過去二度経験しています。

一度目は祖母が亡くなった時、二度目は母親が亡くなった時です。祖母の時は、喪主が母親でしたから、喪主のスピーチをまさか自分がやらせられるとは全く思ってなくて、御布施のルールやマナー、そして相場は、かなり焦った記憶があります。だって全く何も考えていませんでしたからね。もう月並みな言葉しか出てこなくて、「今日はお忙しい中、ご参列いただきありがとうございました。家族葬を明瞭会計で大阪に祖母も大変喜んでいると思います。祖母に成り代わりまして感謝申し上げます。本日はありがとうございました。」、言えたのはたったそれだけ。お葬式が終わって、自分のスピーチが、何の祖母の思い出も挟まず、月並みな言葉だけになってしまったことに、こんなことで大阪で家族葬ができると思い自分自身落ち込んでしまって、祖母が亡くなった以上にそっちの方が申し訳なくて情けない気持ちになってしまい、納骨の際に祖母に心の底から謝りました。そんな経験もあって、母親が亡くなった時は、ちゃんと喪主としてのスピーチができるように、お葬式のかなり前から文章を考え、お通夜の時に何度も復唱して練習しました。そのかいあって、しっかり直葬を大阪で行ってくれる葬儀社を本番の喪主のスピーチでは、自分が幼かった時の母の思い出を入れつつ、自分の思いや母への感謝の言葉、いろいろな想いを入れて自分でも満足のいくスピーチになったと思いました。後に、親戚の叔父さんから、あの時のスピーチは涙が出るほどに良い話だったと言われた時は本当に嬉しくて、散骨するなら大阪の海に少しは母に恩返しできたのかなと内心思ったものです。

大切な人の死は、いつやってくるか分かりません。喪主としてのお葬式に出るということは、そこに来る参列者は故人が生前最も大切にしてきた人たちであり、またそこで述べるスピーチは、公の前で故人に最後に贈る言葉でもあります。それを深く自分の心に刻み込み、その時に故人に恥をかかせぬよう、皆さんも普段から少しでも練習しておくといいかもしれませんね。