亡くなった後がバタバタ、慌しい・・・。

6年前、父が亡くなりました。
私は長男なので、安心して相談するなら大阪で散骨が喪主をやらなくてはいけなくなりました。
葬式の業者は、僕の地区では先代から決まっているなじみの業者さんでした。
なので、わずかな費用で大阪で出来る直葬ならセッティングとかは「おやじさんの時と同じ感じでいこうかねぇ」という感じで、僕が喪主だけど、じいちゃんの兄弟とか、父の兄弟で話してくれました。
少ない費用で大阪でやる家族葬が父が亡くなるということは、けっこう僕にとっては衝撃でした。
もともと酒飲みの暴走機関車みたいな人だったけど、肝臓を悪くしてからはすっかり弱気になってしまい、駄々っ子のようになってしまいました。でも、なかなか出来ない大阪の家族葬をそれでも生きてさえいてくれたら、まだ何か分からないけど、安心でした。晩年は肝臓に加え、胃がんで入院していました。病院で「お力になれませんで・・・ご臨終されました。」とお医者さんに言われ、母さんと姉ちゃんが泣いて「お父さん!!」と言っている姿を見て「もう僕しかいないんだな・・・」と背筋がぞっとしました。現代のトレンドのシンプルな葬儀とは先に祖父祖母も亡くなっていたので、守っていてくれていた壁、防波堤のようなものが1つを残してすべて崩れさってしまったようでした。「僕が壁にならなくてはいけないんだな・・・」未熟ながらそう感じました。
父が亡くなってからはバタバタで、寝る間もなかったです。
そのまま葬儀業者と打ち合わせのあと、親戚が集まったので、挨拶、挨拶、挨拶・・・、そして考えている日まもなく、お通夜の準備です。
静かに大阪で葬儀を行うとほとんど業者さんがやってくれましたが、お通夜でも喪主の挨拶があり、考えといてくださいね。一応例文がありますから、安心してください、と言われましたが、人が来られるたびに出て挨拶、お寺のお坊さんには、ちゃんと作法を教えられて挨拶、ヘトヘトでお通夜が終わり、そのまま葬式をするホールへ移動。
夜通し喪主と数人は見守りみたいな感じで、父の傍で一晩中線香を絶やさないように見てなくてはいけなかったので、その時点で僕の方が疲れすぎて死んでました。
無精ひげのまま、葬式本番で、最初に来られる人たちを前で迎えて挨拶、葬式最後にも挨拶のスピーチ、見送りも一人ひとり挨拶して見送りました。
着慣れない喪服を着て、腹の出っ張りも気にしつつ、でも気にする暇も時間もなく、その後は家の仏壇のセッティングの後片付けと、7日が終わるまで精進料理でした。
その後にも49日や、3周忌といろいろありました。喪主はとにかく挨拶ですね。
葬式時の席順でちょっとしたトラブルがあり「なぜあの人より席順がどうのこうの・・・」みたいなことも言われました。なにかあると「喪主はどこだ」的な感じでした。
(もう、そんなの知らないよ・・・)
いろいろ決まりがあるんですね。でも身内が死んだ後なんだから、もう少しバタバタあわただしくしない方法はないんでしょうかね?
悲しむ暇も無い、ということを実感、いや痛感しました。